良寛会館にヘルシー料理「湊(みなと)」がオープンしました

良寛会館にヘルシー料理「湊(みなと)」がオープンいたしました。


メニューは、プレートランチとたまて箱御膳の2つから選べます。


湊のウリは「ヘルシー料理」。健康的な食材を使った料理が特長です。

良寛会館にお越しの際は、是非立ち寄ってみてください。

良寛会館オープニングイベントのご案内

良寛会館のオープニングイベントを開催いたします。
お気軽にお越しください。

開催日時

2017年4月29日(土)10:00~12:30

イベントプログラム

  • 開会挨拶(柚木爽一郎初代館長)
  • 記念講演(良寛記念館 本間勲館長)
  • コーラス 良寛さん・他(玉島少年少女合唱団)
  • バンド演奏
  • 出雲崎おけさ・良寛ばやし・良寛音頭(弘季三会)
  • 良寛遺墨解説(良寛記念館 本間勲館長)

イベント参加特典

  • 先着50名様限定で備中綿の種をプレゼントします。

お問合せ先

電話:090-7776-4766(柚木)

パンフレット

良寛会館オープニングイベントのパンフレットはこちらをご覧ください。

良寛会館サイトをオープンしました。

良寛会館オープンに先立ちまして、良寛会館ホームページをオープンいたしました。

当サイトでは、良寛の故郷である新潟県出雲崎町、出雲崎町にある良寛記念館との地域交流の一環として、今まで未販売であった良寛真筆複製(レプリカ)をお披露目・販売できることとなりました。

詳しくは商品一覧をご覧ください。

今後ともよろしくお願いいたします。

【良寛会館は2017/4/23オープン予定です。】

良寛遺墨 漢詩『十字街頭乞食罷(じゅうじがいとうじきをこいやみ)』

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良寛遺墨 漢詩『十字街頭乞食罷』

漢詩

十字街頭乞
食罷 八幡宮
邊方徘徊 兒
童相見共相語
去年痴僧今又来
良寛書

十字街頭食(がいとうじき)を乞い罷み(こいやみ)、
八幡宮辺方(はちまんぐうへんまさ)に徘徊す。
児童相見て共に相語る、
去年の痴僧今又来ると。

解説

詩の意味は「(三条の)賑やかな街並みで乞食を済ませ、八幡さまのお宮の辺りをてくてく歩いた。その時子供たちが私を見つけて話し合うには、去年来た変な坊さんが今年も又来たよ。」

子供たちが自分のことを変なお坊さんと言っているが、又、今年も一緒に遊んでもらえることを楽しみにしている気持ちを汲んだ、良寛の暖かい心が読み取れる。

この詩は良寛の好きな作品のようで、屏風などに書かれた多くの遺墨が伝わっている。

真筆オリジナルサイズ

30cm×43.5cm

田中の一つ松(川合玉堂 画)

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『田中の一つ松』川合玉堂 画

解説

良寛は自然をこよなく愛した人物としてよく知られている。画題となる松の木は、新潟市西蒲区(にしかんく)岩室(いわむろ)地区にあったとされている。その松のことを詠んだ歌は有名である。

岩室の田中に立てる ひとつ松の木
けふ見れば しぐれの雨に 濡れつつ立てり
ひとつ松 人にありせば 笠貸さましを
蓑着せましを ひとつ松あわれ

田の中に一本だけ立つ松の木と自分とが同じ孤独であることを共感したのではないだろうか。

川合玉堂(1873〜1957)愛知県の筆墨紙商の家に生まれる。幼い頃から絵に親しみ、京都で円山・四条派を学び、23歳の時に橋本雅邦に師事する。国際的にも評価され、日本を代表する画家として活躍する。1940年、文化勲章受章、芸術院会員。

真筆オリジナルサイズ

36cm×45cm

良寛遺墨 和歌『秋ひより』

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良寛遺墨 和歌『秋ひより』

和歌

秋日与里(より)
世無(せむ)羽すゝ
め能者遠東(のはをと)
可那(かな)
良寛書

秋日(あきび)より 千羽雀(せんばすずめ)の 羽音(はおと)かな

解説

良寛の詠んだ俳句は百首ほどが伝わっているが、この扇面に書かれた俳句は良く知られていて、遺墨も幾つかある。

真筆オリジナルサイズ

23cm×50cm

月の兎(小川芋銭 画)

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『月の兎』 小川芋銭 画

解説

『月の兎』は仏典童話『ジャータカ物語』の547話中の316話目のお話です。『ジャータカ物語』とは、お釈迦様の過去世の物語で、直訳しますと「生まれてあった時のこと」という意味になります。様々な時代と場所を舞台とし、「生きる」というテーマを動物を通して、教え導いている物語です。

良寛は『月の兎』の物語を読み、「黒染めの衣の袖が涙でしみ通ってぬれてしまった」と感動の言葉を伝えています。良寛が晩年『月の兎』を書き残したのは後世にこの物語を伝えたいという願いがあったと思われます。

小川芋銭(1868〜1938)江戸で生まれ、廃藩置県で茨城県牛久市に移る。武家であったが、茨城に移ってからは農民となる。生涯、牛久市から出ることはなく、農業と画業を両立した。雅号の「芋銭」は、自分の描いた絵が芋を買えるくらいのお金(銭)になればいい、という思いで付けたとされる。俳人としても「牛里」の俳号で活躍をみせる。横山大観に認められ、日本美術院同人となる。

真筆オリジナルサイズ

紙本彩色 軸装 44cm×56cm

玉島の修業時代(小林古径 画)

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『玉島の修業時代』小林古径 画

解説

良寛は安永8(1779)年の22歳の時、出雲崎の光照寺を訪ねた国仙和尚に師事し、岡山県倉敷市玉島の円通寺にて修業に入る。その厳しい修業を表現しているのであろう、鋭い鉄線描によって衣が描かれている。出雲崎を出立してから11年後の寛政2(1790)年、国仙和尚より「印可の偈(いんかのげ)」を受ける。翌年、師の示寂(じじゃく)に会い、良寛は全国行脚の旅に出る。

小林古径(1883〜1957)新潟県高田(現上越市)に生まれる。上京し梶田半古に師事する。東洋画のいのちは線描にあるとこだわり、その技術を追求した。東京都大田区にあった古径邸は、現在上越市の高田公園内に移築され、国の登録有形文化財に指定されている。東京美術学校教授、帝室技芸員。1950年、文化勲章受章。

真筆オリジナルサイズ

紙本墨画 軸装 36cm×45cm

 

良寛遺墨 和歌『この宮の』

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良寛遺墨 和歌 このみやの

和歌

こ能美や能(このみやの)
毛理乃古志當(もりのこした)
耳(に) こ東裳羅(こどもら)
登(と) あ所布者留(あそぶはる)
非者(ひは) 久礼春東も(くれずとも)
与之(よし)
良寛書

この宮の 森の木下で 子供らと
遊ぶ春日は 暮れずともよし

解説

良寛が子供たちと遊ぶ想いが伝わる、良く知られた和歌の書かれた扇面作品である。

真筆オリジナルサイズ

23cm×47cm

良寛和尚図

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『良寛和尚図』
遍澄 画
蔵雲 賛

漢詩

ふ由許毛り(ふゆこもり) 者る散り久れハ(はるさりくれば) 以悲こ布と(いひこふと) 久佐乃庵遠た散い天ゝ(くさのいおりをたちいでて) さ登尓い遊けハ(さとにいゆけば) さと許と裳(さとこども) い萬遠者流弊と(いまをはるべと) 多万ほこ能(たまぼこの) 美知の地萬當耳(みちのちまたに) 天まりつ久(てまりつく) わ礼毛末之理天(われもまじりて) 所能南可に(そのなかに) 飛ふみ与以む奈(ひふみよいむな) ゝ可川氣者(ながつけば) あは雲當非(あはうたひ) あ可う多悲者(あがうたひば) 難者川久(なはつく) 都き天うたひ天(つきてうたひて) 可春み當川(かすみたつ) 南可幾者る非遠(ながきはるひを) 久良之川留閑母(くらしつるかも)
都き轉見餘(つきてみよ) 悲ふみ与いむ奈や(ひふみよいむなや) 許ゝ能東を(ここのとを) と遠登お散め天(とをとおさめて) ま多者し万留遠(またはしまるを)

良寛道人肖像可念法(坊)遍照(澄)図之長歌一首
雲寒華録千秋叢舎 (蔵印)(華子寒印)

解説

遍澄(1801〜1878) 新潟県三島郡和島村(現長岡市)の鍛冶屋早川家の長子として生まれる。俗名市内(いちない)。幼い頃から身体が弱く、家に籠もることが多く学問を好むようになる。8歳頃、和島村の妙徳寺賢深和尚の指導を受ける。15歳で良寛の弟子となる。以後、良寛が亡くなるまで、良寛の身の回りの世話をする。良寛亡き後、子弟の教育や良寛詩歌の収集に尽力する。75歳で没する。良寛が2800首余りもの詩歌を残せたのは、遍澄の支えによるところが大きい。

蔵雲(1812〜1869) 長野県の生まれ。群馬県前橋市の龍海院第29世住職となる。弘化4(1847)年に柏崎市に来杖し、貞心尼から良寛の詩を教えられ感銘を受ける。貞心尼と協力し、日本で最初の良寛詩集『良寛道人遺稿』を江戸で出版する。書・詩・画に優れていた。57歳で没する。

オリジナルの真筆サイズ

紙本彩色 軸装 85cm×34cm